千葉の山の砂を運んでつくった砂浜から運んでつくった砂の山のあるこの 場所がほんとうの砂浜。

昔々、山におおきな穴をあけて、向こうとこちらをつなぐとき、たくさんの土が出た。それを海岸に運んで。そして出来た町がふたつ。岩がごろごろ転がっていた海岸はなくなって、テトラポットが並んだ。道がひとつ増え、川もその分延ばされて。店から海が遠のいて。そうやってちぐはぐな景色が生まれた。多分。

ここからどこかへいこうというとき、山を越えないとなにもないし、越えようという気になかなかなれず、それで終いには海につくので、やっぱり砂浜がなければいけない。

テトラポットをどかして、千葉の山から砂を運んだ。船で、というはなしも、お金がなくトラックで少しずつ、というはなしも聞く。そもそも山からじゃないと言う人もいて。皆がそれぞれに違った「真実」を持っている。わたしの頭の中にある熱海は、わたし自身の誤読や思い込みも含む、そういうあらゆるお話の中でつくられた。

完成した砂浜は、どちらかというと大きめの砂場のようにみえて、椰子の木はひとつひとつが個性的で盆栽のようだなと思う。わざわざつくった町も今では空き家や空き店舗だらけになって、こうしてわたしのような他所の人間が、好き勝手を許されている。

途切れ途切れの、この町の妙な成り立ちを「あたみ」という、各家庭にきっと今でも眠っているはずの、教科書のようなもので読んだら、ほとんど町の人から聞いたようなことが載っていて。一方で、無数のちいさな出来事やその質感は、きっと誰にも相手にされることなく散らばったままだ。それを見逃さないよう努めたい。与えられた歴史をなぞるだけではなくて。